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その3

■『開目抄』と『観心本尊抄』御撰述
文永9年(1271)2月
塚原において『開目抄』御撰述 51歳
文永10年(1273)4月25日
一の谷において『観心本尊抄』御撰述 52歳
『開目抄』
この書は、宗祖自らが「一期の大事」とおおせられた重要御書で、宗祖はほんとうに「法華経の行者」であるのだろうかという、宗祖ご自身の、あるいは当時の世間、あるいはお弟子、あるいはご信者の大きな疑問を解決する書物である。いいかえれば、だれが末法の人々を救う、真の尊い指導者であるかを問うものである。

『観心本尊抄』
この書は「日蓮当身の大事」とおおせられた重要御書で、末法の真の指導者が、人々を救うために、ひろめるべき真のご本尊とは何かを明らかにされたものである。その御本尊とは、「本門八品上行所伝の南妙法蓮華経」で、これは末法のために、釈尊が上行菩薩に託されたおしえであって、このご本尊によってのみ、一切衆生は成仏することができるのであると示された。
■流罪赦免の後、
鎌倉を経て身延ご入山
文永11年(1274)2月14日 流罪赦免
同年5月17日身延入山 53歳


12日さかわ、13日たけのした、14日くるまがえし、15日ををみや、16日なんぶ、17日このところ・…(富木殿御書)

「13日竹の下」は、現在、法華経の常唱院のある場所で、ここには後の大聖人が常陸の湯に向かう途中、入滅後ご遺骨が身延へ搬送される際と、三度宿泊された霊場で、宗門史跡に指定されている。

■恩師道善房の墓前に捧ぐ 報恩抄二巻
建治2年(1276) 3月16日 道善房死す
同年7月21日 「報恩抄」撰述 55歳
■御入滅「教えは永遠に」
弘安5年(1282)10月13日 61歳
病がすすみ、身延より静養のため常陸の湯へ向かわれる途中の池上で、御自身の入滅が近いことを悟り、日照聖人・日朗聖人・日興聖人・日向聖人・日頂聖人・日持聖人を本弟子(六老僧)と定め、自らが果たせなかった帝都弘通(京都布教)を日像聖人(経一麿)に託され、10月13日辰の刻、正法興隆にその心身をなげうった61年の御生涯を静かに閉じられた。

  いま日蓮は去る建長5年4月28日より今年弘安3年12月にいたるまで、28年が間また他事なし。ただ南妙法蓮華経の七字五字を、日本国の一切衆生の口に入れんとはげむばかりなり。これすなわち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり。(諫暁八幡抄)

 


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